PROJECT STORY
アスカネットのこれまでとこれから
STORY 02
大規模土砂災害、その時
フォトブック事業
※所属部署、掲載内容は取材当時のものです

アスカネットのこれまでとこれから
STORY 02
フォトブック事業
※所属部署、掲載内容は取材当時のものです
社内報 ASUKA-RU × 採用広報の合同企画「アスカネットのこれまでとこれから」第2弾として、
今回ブック事業部より、芝さん、岡さん、阪本さん、原田さんにお集まりいただきお話を伺ってきました。
伺うお話は2014年8月20日に起こった広島市大規模土砂災害についてです。
それぞれが見て感じた広島市大規模土砂災害とはどのようなものだったのでしょうか?
取締役
フォトブック事業部長
2003年入社 / 広島本社
フォトブック事業部
プロダクトグループ
2003年入社 / 広島本社
フォトブック事業部
営業グループ
2005年入社 / 広島本社
フォトブック事業部
生産運営・開発グループ
2007年入社 / 広島本社
聞き手
ASUKA-RU編集長
戦略企画部 IT推進グループ
2005年入社 / 広島本社
それでは、みなさんよろしくおねがいします。まずはみなさんが災害を知った経緯をお聞かせ願えますか?
夜中の1時半くらいかな?雨が降ってたのかな?降り始めだったかな?最近は携帯に警報みたいな通知くるじゃない。あれが鳴ったの覚えてる。それからしばらくして夜勤の社員から「ちょっと今、危ないです!水が入ってきそうです!!」と連絡もらったのが最初、第一報やないかな?
その段階でできることはほぼないんやけど、「(印刷機やコンピューター類など)上にあげれるものは上げといて!」っていう指示をして「すぐ行くわ!」って言ってとりあえず会社に向かったよね。
いつもなら30分足らずで会社に着くんやけど、この日は1時間以上かかって会社に着いたんよ。家を出て会社に向かってたら深夜に警察の方がなにやら作業をしてるんで何をしてはるのかと思ったら、どうやら会社に向かう道が冠水したらしくてちょうど車両通行止めの用意をしてたんよね。準備してる段階でまだ通行できたからよかったけど、通行止めの向こうに会社があるし、まぁ、行くしかないよね。
で、どうしたんですか?
しょうがないから車を近くに停めて数キロ歩いて会社に向かったよ。
で、なんとか歩いてこの辺(安佐南区祇園周辺)来たら浸かってたよね~。全部浸かってた。会社の隣のコンビニ見たら一応土のうとかで浸水の対応をしてるんだけど、車が通る度に起きる波がその土のうを超えてたのを覚えてる。そのくらい水がすごかった。
じゃ、着いたら汗だくで泥だらけですね。
そうそう。写真あるんよ。こんな感じ。写真はちょっと水が引いてるときだけどね。高さ的に北館は割とマシだったんだけど、本館がどっぷり浸かってたんよね。
印刷ルーム
製本ルーム
会社が浸かってる光景なんてみたことこれまでないんで、まずは呆然とするよね。呆然としたあとに何かしなくちゃ!って思うんだけど、できることがないんよね。水に浸かって困るものはもう夜勤のみんなが避難させてくれてたし。
なので、どこへどこまで伝えるかも定まってなかったけど、とりあえず電話しようと思って電話かけまくったよね。社長や営業のみんなに電話するんだけど、みんな寝てるんよ。そりゃ、朝4時とかなんで、当たり前な話なんやけどね。
で、管理部経由で社長に「会社が浸かってます。稼働が止まります。水が引かない限り再開はなんとも言えません」みたいな連絡をして、あとはまたプロダクトセンターの責任者のみんなに電話してたわ。
続いて岡さんは最初どこで?
僕の第一報は朝起きて芝さんからの留守電で知りました。前の日に自転車で帰ろうと思って、夜に自転車で会社を出発したんですけど、雨と雷がすごくて、「ちょっとこれは自転車で帰るのは無理だな」と諦めて電車で帰ってたんです。電車が止まるか止まらないかギリギリだったんですけどね。
で、芝さんからの留守番電話聞いて会社に行こう!と思ったんですけど、まず自転車がないんですよね。電車もさすがに止まってて。これはもう徒歩で行くしかない。という算段を立てて、とりあえず家を出ようと思って家を出たら近くの道路が冠水してるんですよね。近隣の車が結構浸かってるってレベルの冠水でした。そんな光景を横目にテクテク歩いていくわけですよ。
そしたら、さっきの芝さんの話に出てきた道路に行きつくんですけど、僕が通る時間帯には完全に警察の方が通行止めを実施してて全然通れないわけです。
それでどうしたんですか?
裏道というか山の手側の道を通って会社に向かいました。途中、木は倒れてるわ、土砂は流れ込んでるわ、すれ違う人には「向こうは通れませんよ」って教えてもらうわ、で大変だったんですけど、なんとか道なき道をテクテクくぐり抜け会社に到着できました。
そしたら社員のみんながもう水を掻き出しててって感じです。
阪本さんは?
僕も家で寝てたんですけど、白地さん(フォトブック事業部 生産運営・開発グループ)から「会社、浸かりました」って連絡があってすぐ向かいました。
何時くらいですか?
朝の4時くらいだったと思います。支度して会社に自転車で向かったんですけど、僕は岡さんとは違う方向から会社に向かったので大きな冠水などの被害はなくて自転車で会社までたどり着くことができました。僕が見たのはこんな感じでしたね。
会社周辺道路
阪本さんって当時バイクじゃなかったでしたっけ?
そう、バイクだったけど早々にバイクは無理じゃろ。って判断して城山さん(当時:フォトブック事業部 / 現:空中ディスプレイ事業部)にもらった自転車漕いでいきましたね。
自転車で到着して会社の中に入ったら、夜勤のみんなが水を必死に掻き出してて「こりゃ、やばい状況じゃ」って思いました。
原田さんは?
僕は朝から連絡が来るっていうことはなくて、何も知らずに会社に来て…。
でも、どうやって来たんだろうな?たぶん、電車だとは思うんですけど…動いてたんでしょうね。まぁ、会社にはとにかく来れたんです。
会社に着いた時にはもう水は完全に引いててパッと見たら何事もなかったかのような雰囲気だったんですけど、みんながザワザワしてて…。
で、まずは営業の商売道具でもある営業車を確認しようと思ったんですけど、車のドアを開けたら車の中がビシャビシャになってて、こんなとこまで水が来てたんだ!と改めてびっくりしました。ほんとシートのすぐ下まで水が来てました。
ちなみに営業車より低層に駐まってた管理部の車はシートの上まで水が来てましたね。
そうそう、車の心配もしてたんですよ。
その後、会社の中に入って初めて「印刷機が浸かって稼働できない」っていう状況も知りましたね。
そこから災害初日が始まるんですね。
はい、みんなに連絡したわけじゃなかったけど、結構早くからみんなが集まってくれたんよね。
そうそう、みんないましたよね。
その頃は水も引いてたんで、みんなに「水出せ、水」って指示して水や泥の掻き出し作業を始めました。基本的に汚泥や泥水だったので肌を露出しない服装をして作業するようお願いしました。
僕もその日手伝いしてたのですが、破傷風とかの単語を聞いたような気がします。社員のみなさんは割と問題なく出社できたんですね。良かったですね。
そうですね。普通に来てる方も結構いましたよ。「あれ?みんな何やられてるんですか?」みたいなテンションで。
それで「いやいや会社がね、浸かったんだよ」って説明したりもしたからね。
僕もそのタイプでしたね。自転車で問題なく会社まで来れましたし、着くまでに特に「会社が浸かってる」みたいな事前情報もなかったので、会社に着いても、なんか駐車場に泥が溜まってるな~。くらいの感覚でしたね。
安佐南区、安佐北区と被害はかなり局地的でしたもんね。
そしてみんなが集まって…
まずは水出し。水出しをしつつ災害本部が立ち上がったのでそこに情報を集めました。情報を逐次集めたんやけど、みんなに「機械の電源だけは絶対入れるな」ということを周知しましたね。これは前職で阪神・淡路大震災を経験したことに由来するのですが、その時に完全に乾いていない機械の電源を入れてしまったことが原因で高額の機械が多数ダメになったんですよ。その経験があったので、口を酸っぱくして「機械の電源だけは絶対入れるな」と指示しました。2日後?くらいに「もう乾いてるので電源を…」って意見があったのですが、「あかん!まだダメや!まだ電源は絶対入れたらあかん!」って言いましたね。
岡さんは?
一緒ですね。水出しです。当時システム開発チームの長をしてたのでサーバーの心配はあったのですが、サーバーは2階にあったので動いてるだろうな。とは思っていて、思った通りちゃんと動いてくれてました。サーバーの確認がとれて一安心したあとで今の状況を鑑みて復旧が一番大変なのは生産体制だな。と思い、生産体制の迅速な再開のために今できることを考えて…出した結果はやっぱり水出しでしたね。もうSE(システムエンジニア)も全員総出で水出ししましたね。
僕はホームセンターの開く時間に大型の扇風機とか水が絞れるモップとかを大量に買いに行きました。
電源ってどこから取ったんですっけ?
2階からドラム電源で引っ張ったんですよ。1階は完全に停電してたんで。
キュービクルも浸かりましたもんね。
キュービクルってなんですか?
本館にある高電圧の変換機、ジェネレーターですね。これが浸かったんで停電したんですよ。
初日は出社した方、総動員で水出しのお手伝いをしていただいたと思います。
生産も出荷もできませんからね。もう唯一できることがみんな水出しだったと思いますね。
そういえば水をずっと出してるんだけど夏だったんで日が高くなってくると暑いんよね。タオルとか拭くものが欲しくなるんよね。噴き出る汗を拭きたくて。そしたら取引先さんが「アスカネットさんが浸かったらしい」っていう情報を仕入れてくれたみたいで差し入れでウエス(布の端切れ)やタオルとか必要そうなものを搔き集めて持ってきてくれたんよね。あれはありがたかったわ~。
栄養ドリンク持ってきてくれた方もいましたね。
いろんな方に心配いただいて差し入れをいただき、嬉しかったですね。
原田さんの初日は?
営業車のことが一番だったんですけど、車のことが片付いたらお客さんへの電話ですね。お客さんには工場の現状と、出荷が難しい旨をお伝えしました。
ちょうどその頃には全国ニュースで安佐南区八木の災害のことが流れてたんですね。
ニュースを見てアスカネットが安佐南区にあるって知ってるお客さんからは、逆に「大丈夫ですか?」って心配されましたね。なので、ほぼ「早く出荷してもらわないと困る!」みたいなお叱りをいただくことなく逆にみなさんから心配のお言葉をたくさんいただきました。
全国的にお客様はみなさんそうでしたよね。「大丈夫ですか?」の声のほうが大きかったですね。温かい励ましをたくさんいただき本当にありがたかったです。
災害2日目以降はどんな感じでしたか?
被害の状況の把握もほぼできたので、2日目からは一部稼働を再開させました。この被害状況の把握も多くの社員のみなさんが何も言わずとも必要な情報を率先して集めてくれたおかげで迅速に集まってきました。
あと生産側には「まだ機械を動かすな!電源を入れるな!絶対あかん!」って指示はこの時期もまだ出してました。電源を入れたのは3日目の完全に機械が乾いてからじゃなかったかな。だから、現場が再開したのは3日目からやね。
僕たちは初日もそうだったんですけど、2日目からはこの災害に関する告知をWEBに出さないといけなかったので、各所とすり合わせをして告知の調整をしてましたね。災害当初、サポートの対応や電話回線の数など頂くお問合せに対していろんなものが足りないのではないか?という懸念点もあり、告知を早々に出すべきか?っていう議論があったのですが、社長と専務から「初動が大事だ!すぐ告知を出して!」と指示があり告知されました。
でも、告知を出してみるともともとしていた心配をよそに大きな混乱はなく、結果、僕たちシステム開発チームはデータの保管状況やフロント周りの対応などに早々に取り掛かることができました。
阪本さんは?
僕はずっと江川さん(当時:フォトブック事業部 / 現:空中ディスプレイ事業部)と一緒にコンプレッサー直したりとか、写真を撮ったりしてました。いやらしい話ですけど、災害の保険を適用させるのって証拠の写真がいるんですよ。だから全ての機械をバラして写真を撮りましたね。あ、このバラして写真を撮るっていうのが僕にとっては学びがあったんですよ。コンプレッサーって意外と容量が小さくても機械、動くんだな。この機械は必要以上に大きな容量はいらないんだな。とか。普段、コンプレッサーをバラすことなんてないですからね。
原田さんは?
当時はオンラインで繋がるとかなかったので、他の営業さんが何をされてたのかは分からないのですが、個人的にはできることが何もないというか…。僕は本社にいるんで手伝えることを手伝ってましたね。
そういえば乾燥させてた機械の復旧ってどうだったんですか?
動いた。動いた。
ほとんど動きましたね。
一部、印刷機が2台かな?それがダメで。それ以外全部動いた。やっぱりちゃんと乾燥させてたのでダメージは少なかったよね。ちゃんと印刷機を乾燥させて電源入れることができたんで、B2C(一般向け)は8/26、B2B(プロ向け)は8/27に通常稼働に戻ってるからね。
なるほど。電源のことを口を酸っぱくして周知した甲斐があったんですね。
では、このような災害を経験して思うことや学んだことってなんですか?
有事の際の火事場の馬鹿力っていうんかな?みんな、細かい指示なんか全然しなくても自分たちで考えてサクサク動いてくれてたんで「ブック事業部すごいやん」って思ったよね。指示するほうからすると指示することに力を割くことなく、他のことに余力を費やせるので非常に助かりました。そして平時でも自分たちで考えて動くってことがこの災害を経験したことで少しずつ生まれて今に活きてるんじゃないかな?
誰も「何しましょう?」って質問はしなかったですもんね。
当時は目の前にあるものをただただキレイにしよう。っていう1点よね。
あと電源を入れるな。ですね。ずっと芝さん、電源、電源。電源は入れるな。って言っていましたね。
『カメラを止めるな!』みたいなもんですね。
さっきも言ったけど、前の震災のときにいた会社の機械は乾燥が甘いのに電源入れて主要な機械が全部飛んで1か月半くらい稼働ができなかったからね~。そりゃ電源、電源言うよ。
電源おじさんだったんですね。
電源ポリス(笑)
この災害で一番大変だったことはなんですか?
車の後ろにかなりの量のブックサンプルを積んでたんですけど、さっきのとおり、車に入れっぱなしにはできないので、サンプルを上まで運んだのですが、災害時にエレベーターが水没して壊れてるんですよ。
そうでしたね。エレベーターの下に水が溜まっててここだけポンプかなんかで水を吸い出したんですよ。
そう。なので、かなりの重さと量のあるサンプルを一人で階段で運んだのが一番辛かったですね。
さらに言うと、営業車の代車が届いたらその重いサンプルをまた一人で持って降りるんですよ。みんなは水出しとか他のことしてますから手伝ってとは言えない状況です。
一人で運搬するのは本当にキツかったですね。
話はちょっと逸れるのですが、災害後に定点の監視カメラが設置されまして、僕、雨が降ったり雷が鳴ったらこのリアルタイム映像めっちゃ見ますね。
見る。見る。しかも雨が強くなったら雨粒で確認したいとこが見えんのよね。
そうそう。車が通ったときのライトでたまにチラッて見えるっていうね。
そうなんですね。じゃ、話を元に戻して芝さんが一番大変だったことは?
一番大変だったこと?一番大変だったのは会社に来るまでやね。
僕もそうですね。
改めて阪本さんは?
エアコンが効かない中での作業ですかね。停電で真っ暗で、なおかつ暑いっていうね。あとは止水板が設置されるまでの半年間程度、大雨が降る前に土のうを積んでたのですが、土のう積むのは大変でした。
8月ですもんね。エアコン効かないのはキツいですね。
暑いもあるけど、災害時ってみんなに電話して「出社して!」って依頼するのはよかったのか?って今でも思うよね。自分も一番大変だったのが出社って思ってる。そんな大変な中、みんなに出社を促すのは良いのか?って葛藤があったわ。
ただ会社に来るのが大変だったっていうより、今の話のほうがグッときますね。
たしかに出社するのは苦労しましたよ。僕も自転車を置いて帰らなければもっと早く集合できたな。って思ってますけどね。
この災害を経験して今に活きてることって何ですか?
一番は「電源は入れるな」かな。あとは災害対策委員会で夜勤時の災害発生に関するルールなどを制定したね。資材や仕入れ情報のリストアップ、災害発生時の連絡網や初動なんかを制定したので、次に災害が起こっても適切な対応ができるように準備をしっかりしている。ということが今に活きてることやね。
僕は天候を気にするようになりました。今は僕が一番天候気にしてるかもしれません。実はこの災害以降も天気が崩れると「大丈夫かな?」って会社を見に行くことがあるんですよ。
僕は止水板ですかね。晴れてても「もしかして?」があると止水板をして帰ろうとかそういう話をするようになったことですかね。あとは僕も結構天候が崩れると会社が気になって様子を見にいったりしますね。そしたら偶然畑中さん(フォトブック事業部)と出くわしてお互い「あ~」ってなったことがありましたね。
みなさん、かなり会社の様子を見にきますね。あと畑中さんもかなり会社の様子を見に来るんですね。
僕は車を高台に持って行ってくれ。って指示が出るようになったので、大雨などの警報が出る前に車を避難させるようになったのですが、最初は「高台ってどこ?」って思いましたね。でも家の近所に高台があったので、今はなにか起こりそうな際はそこに車を移動させるようにしました。
それでは最後に一言おねがいします。
濡れたら乾くまで電源は入れたらあかん!
普段使ってない機械でも、ちゃんと全部点検してから電源は入れなあかん!
たぶん、答えてほしい内容が違いますよ(笑)
あぁ、そうか。全ての社員のみなさんに連絡したわけでもなく、自分の家が大変な状況の社員の方も少なからずいたかと思うのですが、みなさん、そういうことを感じさせず、思いを一つにして朝早くから指示を待つわけでもなく、連帯感や責任感を持ち、今、自分たちのやるべきこと、なすべきことを黙々と遂行していただいたおかげで早期の復旧が可能となりました。これは本当に感謝しています。
また先ほども話しましたが、私たちの立場でできること、ルールの制定や緊急用連絡網の作成や各種リストの作成などできることは備えています。これは災害の際に被害を最小限に留めるということはもちろんなのですが、私たちの作る本は多くの人たちに幸せと感動を届けているという自負の元、誠実な行動でみなさんからの信頼に応えるためでもあります。これからも多くの大変なことに直面することもあるかと思いますが、この災害で得た経験を活かし、社員のみなさんと力を合わせ乗り越えていきたいと思っています。今後ともよろしくおねがいします。
ありがとうございました。